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和歌山地方裁判所 平成5年(わ)548号 判決 1995年12月26日

裁判所書記官

川崎清司

本籍

和歌山市禰宜一一九六番地

住居

和歌山市井ノ口三六一番地

薬局経営

辻良樹

昭和三〇年二月二八日生

右の者に対する所得税違反被告事件について、当裁判所は、検察官宮﨑昭出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役六月及び罰金三〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金三万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、和歌山市内に住所を有する祖父辻良太郎の代理人として、同人の所有していた不動産の譲渡所得にかかる同人の所得税を免れようと企て、大川孝史と共謀のうえ、辻良太郎の平成二年分の分離長期譲渡所得金額が四億一六一一万九六〇〇円でこれに対する所得税額が一億〇一九一万一二〇〇円であるのに、架空譲渡費用を計上するなどの不正の行為により所得の一部を秘匿したうえ、平成三年三月一五日、和歌山市湊通丁北一丁目一所在の所轄和歌山税務署において、同税務署長に対し、分離長期譲渡所得金額が八一一九万四八二六円でこれに対する所得税額が一八一八万円(ただし、申告書には誤って一八一二万三五〇〇円と記載)である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により所得税八三七三万一二〇〇円を免れたものである。

(証拠の標目)

かっこ内の甲乙の番号は、検察官請求の証拠等関係カード記載の番号を示す。

一  第三回公判調書中の証人坂口幸秀、第四回公判調書中の証人森村透及び同黒田順三、第五回公判調書中の証人大川孝史の各供述部分

一  証人堀川政雄に対する受命裁判官の尋問調書

一  坂口幸秀(甲25)、森村透(甲27)、黒田順三(甲28、31)及び大川孝史(甲29、30)の各検察官調書(甲25、27ないし30はいずれも抄本)

一  辻良太郎の大蔵事務官調書(甲15、26)

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(甲2)、証明書(甲3)、報告書(甲5ないし8)、写真撮影報告書(甲9)及び査察官調査書(甲10ないし13)

一  和歌山市長作成の住民票謄本(甲4)

一  第六回公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官調書(乙2、3)

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人の主張

1  ほ脱の故意

(一) 被告人は、大川孝史らが本件納税金として指示した八一九七万九〇〇〇円が本件の適正な税額であると信じていたので、本件ほ脱金額八三七三万一二〇〇円のうち一九九三万二二〇〇円(本件税額金一億〇一九一万一二〇〇円から被告人が大川らに本件納税金として預託した八一九七万九〇〇〇円を差し引いた額)については、被告人に納税義務の認識はなく、ほ脱の意図もなかった。

(二) 被告人は、大川らに本件納税金として八一九七万九〇〇〇円を預託していたものであり、本件ほ脱金額のうち六三七九万九〇〇〇円については、適正に納税されていると信じていたのであるから、ほ脱の故意がなかった。

2  公訴棄却

検察官は、右1(二)の六三七九万九〇〇〇円について、被告人にほ脱の故意がないことを熟知しながら公訴提起したものであるから、公訴権の濫用に当たり、公訴棄却すべきである。

3  可罰的違法性

本件の背景には、同和団体を利用すれば税金が安くなるという社会的風潮が定着していたこと、本件と同種の脱税事犯が全国で多発しているはずであるのに、そのうちわずかのものしか公訴提起されておらず、しかも本件の場合は本来ならば告発に至る事案ではないこと、本件ほ脱金額及び重加算税が既に納付されていることを考慮すれば、本件には可罰的違法性がない。

二  当裁判所の判断

1  ほ脱の故意について

(一) 前掲各証拠によれば、被告人が大川孝史に依頼して本件所得税確定申告手続を行った経緯として、以下の事実が認められる。すなわち

(1) 被告人が祖父辻良太郎を代理して、良太郎所有の土地を他に売却するなどしたことによる、良太郎の平成二年分の収入は、巴里晃に対する土地の売却代金四億五二四七万八〇〇〇円、和歌山県に対する土地及び土地の共有持分の売却代金等合計二三一六万三一〇三円、関西電力株式会社に対して設定した地役権の対価五三六万三四〇〇円の合計四億八一〇〇万四五〇三円であり、そこからこれらの土地の概算取得費合計二四〇五万〇二二六円、譲渡費用合計一二七三万四九〇〇円を差し引き、さらに特別控除合計二八〇九万九七七七円を控除すると、これらの土地売却等による所得金額は四億一六一一万九六〇〇円であり、これに対する所得税額は一億〇一九一万一二〇〇円となること

(2) 被告人は、平成元年一〇月ころ、紀陽銀行和佐支店の支店長坂口幸秀に、また、平成二年二月ころ、税理士の森村透に、それぞれ巴里に対する土地の売却(売却代金四億五〇〇〇万円)による譲渡所得税額について尋ね、いずれからも所得税・地方税併せて約一億三〇〇〇万円余、うち所得税は一億円強である旨の回答を得たほか、坂口からは、税金を安くする方法として、収益物件を購入するなどの節税手段や売却代金を過少に申告するいわゆる圧縮という脱税手段について説明を聞いたこと

(3) 被告人は、税金が何とか安くなる方法はないかと考え、平成二年秋ころ、和歌山東農業協同組合和佐支所長の黒田順三に相談したところ、黒田から、堀川政雄に依頼し、同和団体を通じて確定申告をすれば、税金を安くすることができると聞き、黒田を介して、右土地の売却代金額等を伝えたうえ、堀川から納税額の概算のメモを受け取ったが、このメモには、ワープロ書きで、売り上げ四億五四七四万六〇〇〇円、(取得費用の)概算二二七三万七三〇〇円、仲介手数料一二七三万円、経費一億〇四五九万一五八〇円、長期控除一〇〇万円、控除三〇〇〇万円の記載とともに、国税七九六〇万四二八〇円、地方税一九五八万五〇二七円、カンパ一五〇〇万円、小計一億一四一八万九三〇七円の記載があり、この小計は手書きで一億〇五〇〇万円と訂正されていたこと

(4) 被告人は、本件所得税確定申告を堀川に依頼し、同和団体を通じて行うことにし、平成三年三月初めころ堀川方を訪ねて、堀川及び堀川から依頼を受けて確定申告等の納税手続を行っていた和歌山県同和商工会紀北支部職員の大川孝史と会い、大川から、「相談者綴り」と題するメモを渡されたが、このメモには、(売却代金)四億八三二七万〇一二二円、五%(取得費用)二四一六万三五〇六円、経費七二四九万〇五一八円、特別五〇〇〇万円、控除七〇万円の記載とともに、国税(所得税)八一九七万九〇〇〇円との記載がなされていたこと

(5) 被告人は、右のメモを見て、経費の水増し等により所得税を正規税額より約二〇〇〇万円少なく申告するものであることを認識したうえで、大川に本件所得税の確定申告と納税手続を依頼し、大川から示された納税額にカンパ金名目の四〇〇万円を加えた額面八五九七万九〇〇〇円の小切手を黒田、さらには堀川を介して大川に渡したが、大川は、右の「相談者綴り」と題するメモに記載した以上に過大な必要経費を計上するなどして、判示のとおり一八一八万円の所得税確定申告しか行わなかったこと

以上の事実が認められる。

(二) 右の事実によれば、被告人は、辻良太郎を代理して土地の売却等を行った者として、土地売却等による収入額やそのための経費の額等を認識していたばかりでなく、税理士等の説明により、その所得税額についても一億円強である旨認識していたにもかかわらず、良太郎に代理して本件所得税の確定申告をなすに当たり、同和団体職員の大川孝史に依頼し、多額の架空譲渡費用を計上するなどの方法により、所得の一部を秘匿し、正規の税額より過小な税額を記載した内容虚偽の確定申告書を税務署に提出し、所得税を免れようと意図していたものであるから、被告人にほ脱の故意があったことは明らかである。

(三) もっとも、右の事実によれば、被告人は、大川孝史に納税金として八一九七万九〇〇〇円を預託していたものであり、実際に確定申告された所得税額一八一八万円との差額六三七九万九〇〇〇円についても申告納税するつもりであったのに、共犯者の大川が被告人の認識していた以上の過大な架空譲渡費用を計上するなどして所得税額を一八一八万円として確定申告を行ったため、実際には右の六三七九万九〇〇〇円を含む八三七三万一二〇〇円の所得税をほ脱する結果となったこともまた明らかである。

しかし、所得税のほ脱事犯における故意は、ほ脱者において、内容虚偽の申告により所得税をほ脱することを認識していれば足り、ほ脱額についてまで認識していることを要しないから、本件のように実際のほ脱額よりも少額をほ脱額であると認識していた場合においても、右ほ脱額(の量)に関する錯誤は、同一構成要件内に属する具体的事実の錯誤として故意を阻止するものではなく、実際のほ脱額全額についての故意犯が成立し、右の点は情状として考慮しうるにとどまると解せられるのであって、被告人は、本件ほ脱額全額について故意犯としての責任を免れない。

(四) ところで、被告人は、公判廷においては、同和団体を通じて所得税の確定申告をすれば、前期のような架空譲渡費用の計上等経費の水増しにより所得税を過少に申告することが法律上認められていると思っていた旨供述する。

しかしながら、架空譲渡費用の計上等経費の水増しにより所得税を過少に申告するような不正行為が法律上認められるものでないことは、一般通常の道義心を有するものであれば容易に認識しうるところであり、しかも、同和団体を通じれば同和関係者でない者もそのような確定申告を行うことができ、その際に同和団体が多額のカンパ金(被告人の場合は四〇〇万円)を得るようになっていたことの不合理・不自然さをも考え併せれば、そのような確定申告が同和団体を通じての脱税を企図したものであることに気付くのも困難ではなかったと考えられる。

被告人は、黒田順三から、同和団体を通じて確定申告を行えば税が軽減されることを認める法律がある旨聞いたことや、大川孝史を税理士だと紹介されていたこと、自分の周囲の同和団体を通じて確定申告を行った人も脱税で処罰されるなどしていないことを挙げ、本件所得税確定申告が脱税に当たることを全く認識していなかったことの根拠とするのであるけれども、被告人自身、同和団体の関係者が税を軽減されることについて、さらには同和団体を通じれば同和団体の関係者以外の者でも税を軽減されることについて疑問に思ったことを認めているうえ、同和団体を通じて確定申告をすれば、どうして架空の譲渡費用が必要経費として認定されると思ったのかについて、何ら合理的な説明をなしえておらず、もちろん黒田の言う法律の存在や内容等について、自ら調べたり税務署に問い合わせたりなどしたことはないというのであるから、被告人の挙げる右のような根拠をもって、被告人が本件所得税確定申告の違法性の認識を欠いたことについて相当の理由があるとはとうてい認められないだけでなく、被告人の右の公判供述、すなわち、同和団体を通じて所得税の確定申告をすれば、架空の譲渡費用の計上等経費の水増しにより所得税を過小申告することが法律上許されると思っていた旨いう点についても、そのままには信用することができず、被告人は、本件所得税確定申告の違法性を明確ではないにせよ認識していたものと認めるのが相当である。

右のとおり、被告人が本件所得税確定申告の違法性の認識を欠くような相当の理由はなく、むしろ被告人はその違法性を明確ではないにせよ認識していたものと認められるのであるから、被告人の本件ほ脱の故意が阻却されないことは明らかである。

(五) 以上のとおりであって、被告人には、本件ほ脱額全額についてほ脱の故意を認めることができる。

2  公訴棄却の主張について

弁護人の主張は、検察官が、右の六三七九万九〇〇〇円について、被告人にほ脱の故意がないことを熟知していたことを前提とするものであるが、前述のとおり、被告人は、右の部分についてもほ脱の故意犯としての責任を免れないから、弁護人の右主張は前提を欠き、またそもそも一個の訴因の一部について公訴棄却することはできないから、弁護人の右主張は失当である。

3  可罰的違法性の主張について

本件は、被告人が、脱税を請け負っていた同和団体(の職員)を利用して、八三七三万一二〇〇円に及ぶ多額の所得税をほ脱した事案であるから、弁護人主張のような諸事情があるとしても、本件の可罰的違法性を否定することはできない。

(法令の適用)

刑法は、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前のものをいう。

被告人の判示所為は、刑法六〇条、所得税法二四四条一項、二三八条一項に該当するので、所定の懲役と罰金を併科することとし、その所定刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役六月及び罰金三〇〇万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により、金三万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により、同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、同和団体の職員の大川孝史と共謀のうえ、祖父の不動産の譲渡等にかかる所得税の確定申告をなすにあたり、架空の譲渡費用を計上するなどの方法により、所得税八三七三万円余りを免れたという事案であるが、ほ脱額が多額でほ脱率も八二パーセントに及ぶ高率であるばかりでなく、ほ脱の方法も、同和団体を経由してこれを隠れ蓑にした悪質なものであること、ほ脱の動機は、多額の譲渡所得にかかる所得税を少しでも納めないで済まそうとしたというものであって、酌量の余地に乏しいこと、被告人は、公判廷においては、同和団体を通せば経費を水増しして計上することが法律上許されると思ったなどの不合理な弁解に終始して、十分な反省の情がみられないことからすれば、犯情は悪く、被告人の刑事責任を軽視することはできない。

しかしながら、被告人は、本件にかかる納税金として共犯者の大川に八一九七万円余りを渡していたにもかかわらず、大川が一八一八万円しか申告しなかったものであること、本件の脱税の具体的な計画や確定申告等の手続は全て大川が行っていること、同和団体を経由した申告に対する国税当局の取り扱いの中に、国民の誤解を招くような点があったことは否定できず、このことが本件の背景になっていること、被告人(の祖父)は本件起訴にかかるほ脱金額(本税)及び重加算税等を既に納付していること、大川が納税金として受け取りながら納税しなかった六三七九万円余については、いまだ被告人らの方に返還されておらず、実損となっていること、被告人にはこれまでに前科前歴がないことなどの、被告人のために酌むべき事情も認められるので、被告人に対しては、その懲役刑の執行を猶予し、罰金刑も判示の額にとどめるのが相当であると判断した。

(検察官の科刑意見 懲役六月及び罰金五〇〇万円)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森岡安廣 裁判官 荒木弘之 裁判官 岡田伸太)

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